公共政策の倫理学(旧地方自治の倫理学)

元藤沢市議酒井信孝のブログです。

メディアが生む世界の表と裏

 毎年8月は、先の戦争(主に太平洋戦争)を振り返り、不戦の誓いを立てる月となっている。戦争の悲劇、悲惨さ、残酷さを、語り継ぎ、検証するために、記録映像が流され、体験談を聞く機会も多い。しかし、果たして本当に、それが反戦平和に繋がっているだろうか?
 太平洋戦争は、日本が当事国としての最後の戦争であるし、まだ存命の戦争体験者もいる。直接話を聞くこともできるし、写真や映像が大量に残されるようになったのがその時代からだから、現代日本に直接繋がる戦争の歴史として太平洋戦争が特集されることが多い。
 一方、世界では、太平洋戦争以後も戦争は絶えない。日本国憲法にあるような、「平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会」や「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利」といった理想的な世界は実現していない。しかし、日本では、先の戦争に関する報道に比して、現在進行形で起きている世界各地の戦争や紛争、虐殺、国家犯罪に関する報道は圧倒的に少ない。
 一方、インターネットにはそうした情報が溢れている。日本の大手メディアが伝える世界像とはギャップ著しく、現実感がない。そして巷には、映画やアニメ、ゲーム等、残虐映像が溢れている。(公共放送であるNHKですら『進撃の巨人』という極めてグロテスクで残虐な描写の溢れるアニメを平気で放送している。)
 インターネットに溢れているフィクションではないリアルな残虐映像は、報道だけではなく、犯罪組織の宣伝(プロパガンダ)である場合も多い。これらを見て、反戦平和や犯罪抑止に繋がるのであれば良いが、多くがエンターテイメント化している。
 インターネットが普及したことで情報は溢れ、表のメディアが触れない多くの情報を容易に得ることができる。表と裏のギャップ、表のメディアがありのままの現実世界を見せようとしないために、裏から入ってくる情報のリアルとフィクションが入り交じり、人々の世界観や倫理観、感情や感覚がおかしくなっていやしないだろうか。