自浄作用なき学校社会
ここ最近まで(一昔前?少なくとも私が子供の頃は)、教員の体罰は日常茶飯事だった。
往々にして、自制心のない体罰教師は、それ以外にも問題行動がある。
厳しさや熱心さが問題行動を見えづらくする。
往々にして、やましさをそうやって誤魔化している。
高齢の教員の多くが、今では問題視されるようなことを昔は平気でやっていた。
問題視されるようになりやらなくなっても、教育観や人間性はそうそう変えられない。
そうした過去のやましさを隠し、さもなかったかのように振る舞っていても、いつ発覚するのかと心中穏やかではないだろう。
そうした教員が今では管理職になっているから、学校社会はいつまでたっても旧態依然、問題を問題として認識できない。
法的には時効があっても、過去の問題行動にしっかりと向き合うべきだ。
被害者は、一生忘れない。あまりに傷つき、思い出さないようにしている場合もある。
古い出来事であっても、被害相談を受け付けるような窓口を作るべきだ。