ブラック校則は学校の恥だ
義務教育は、社会に適応させるために個性を奪い(成形し)、社会の理不尽に対する耐性を身に着けるためにある、と本気で思っている教員や親がいる。
理不尽な状況に耐える力など必要か?(むしろ、それを取り除き、改善する力が必要だ)
理不尽な状況に順応し、良い評価を受けることが、評価に値するか?
矛盾に満ち、欠陥だらけのこの社会に、順応しても仕様がない。問題を自覚し、向上させていく力こそ養わなくてはならない。しかし、多くの場合、むしろ教員の側が、そうした自覚も能力も持ち合わせていない。
学校内においては、教育の名の下に、教員と生徒は対等ではない。弱い立場の生徒に対し、何かしらを強いるのであれば、尚のこと、教育上の合理的な理由がなくてはならない。説明できないようなことはしてはならない。
学校関係者は、不合理で、理不尽な校則を放置していることを恥ずべきであるし、無責任であることを自覚するべきだ。
そもそも、全ての教員に教育者としての人間力を期待するのにも無理がある。むしろ無いことを前提に、教員の未熟さが生徒に悪い影響を与えないようにするための仕組みが必要だ。