公共政策の倫理学(旧地方自治の倫理学)

元藤沢市議酒井信孝のブログです。

国立市議会の怠慢、機能不全、茶番

15日の本会議で、興味深い遣り取りがありました。
 香西議員:「プロジェクトに関して、協定を結んでから始まったことだとの認識なんですけども、協定から明確に外れているのではないのか、という厳しい指摘や、実態を問う、もしくは意見として述べる、というような委員はいましたか?質疑のやり取りはありましたか?」
小濱総務文教委員長:「明確にということまでの質疑や遣り取りはありませんでした。」
香西議員:「これまでのこと、最近のことに関しては遣り取りが確認等の質疑があったとは思いますが、今後のことに関して、教育委員会に対して、具体的に、何本の木をどこに植えるのだとか、を含めて、そういった具体的な質疑、それに対する答弁、といった遣り取りがあった事実はありますでしょうか?」
小濱総務文教委員長:「そういった質疑や遣り取りはありませんでした。」
 
核心を突いてますね!
すなわち、総務文教委員会は、もっとも基本的な質疑すら怠ったということです。
ならば、委員会に差し戻す、というのが筋でしょうが、その後、この議員はこのことに触れず、平気な顔して反対の討論を述べました。(審議が不十分だから反対、というのであれば筋が通っていますが)
なんのための本会議質疑だったのか?
国立市議会は不可解なことばかりです。

二小樹木移植市民団体の責任能力

15日の陳情採決時の討論で、この市民団体は適切な保険に入っていることを当局は確認しているのか?との疑問を呈した議員がいた。
これは市民団体の責任能力に関わる重大な点だ。
しかし議員であるなら事実関係を確認した上で採決に臨むべきであるし、審議が不十分なら継続審査にすればいい。
当局は、市民協働のルールに反していない、として、誰もが「協働に参画できる機会を平等に有」していると答弁しているが、このような危険な現場の安全管理や、事故があった場合の対応まで、市民団体に押し付けるなど許されるのだろうか?
 そもそも公共事業を市民団体に丸投げすること自体が許されるのか?

国立市議会の無責任(二小樹木移植問題)

youtu.be

一昨日、国立市議会は「二小樹木の無責任な移植プロジェクトの中止と危険な仮置き樹木の撤去を求める陳情 」を全会一致で不採択とした。
多くの議員が採決前に意見を述べた。
反対理由として、やり始めてしまったことを中止するには無理がある、とか、陳情で危惧されていることはそれなりに対処されている、と難癖を付けていたが、付された意見には現状の懸念や当局への批判や注文が述べられていた。
しかし、採決で一方的に意見を述べたところで、当局に何かしらを義務付けることはできない。とりわけ何も可決していないのだから。
 5月に移植工事がされてからの4カ月間、この前代未聞の行政の暴挙に、議員らが主体的に動いた形跡がまったく見られない。事実関係や問題点を調査するだとか、当局に申し入れて対応を協議するだとか、そうした具体的な動きが一切見られず、傍観しているだけ。(当局からの聞き取りを鵜呑みにし、支持者からの声を受けとめる程度。)
今の危険な状態は当局によって作り出されたものである。除去できない危険であればやれる限りの対策を取るしかないが、撤去すれば取り除けるのに、全会一致で取り除かないことにしたのだから、議会も現状を追認しその責任を負ったわけだ。無責任に。
しかし、こんな巨大な不安定な(横倒しに置くならまだしも)ものを置く(植わっていない!)に際して、地盤の強度を確認していないという致命的な問題が、完全に見て見ぬフリされている。
ゼロリスクなどと極論で誤魔化しているが、地盤の確認など、いの一番にやらなければならないことであって、確認がないことそのものが重大な瑕疵でありリスクなのである。

道路ぎわに立てて置かれた約40本の巨木

国立2小仮置き樹木の明らかになった危険性

9月6日の陳情審査で明らかになった下記のことからは、安全性が担保されていないことが結論づけられる。なのに、どうして、こんな危険な状態を放置できるのか?国立市当局、議会の責任が問われている。

・仮置き場の地盤の安定(空洞の有無や強度)は確認していない。
・もともと校庭は道路面より20センチ程度しか高くなかった。それが今では約1m。
・コンクリートは塀、もしくはフェンスの土台でしかなく、土留めとしては想定されていない。
・コンクリート塀の一番弱い中央部分に、かなり古くからの構造クラックがある。

安全性に関する当局の答弁PDF
https://drive.google.com/file/d/1VFBcqhwwvn7-moCWz4gUQIpEEICY49Yz/view?usp=sharing

 

国立市法務担当の詭弁(二小樹木移植問題)

9月6日の総務文教委員会で、国立市の法務担当は、国立市の公有財産台帳に立木の登録が一つもないことを正当化した。

営利目的で保有しているのではないから、と言うのが理由だが、ならば他の公有財産、土地や建物、備品などは営利目的で保有しているのか?
なぜ、公有財産規則に「その材積に単価を乗じて算定した額」と積算方法まで書かれているのかと言えば、立木は木材としての価値があるからだ。営利目的で保有していなくとも、売却可能で資産価値のあるものをしっかりと管理するために、台帳管理することになっているのである。

また、庶務管財係長は、立木法を持ち出し、登記している木がないから台帳への記載がない、と言っている。しかし、登記するのは木の所有権を明確にして不動産として取り引きできるようにするためで、土地と一体で管理されている場合は、当然、登記する必要はない。不動産取引の対象ではなくとも、動産としての木の流通や木材としての価値があるからこそ、材積による積算方法まで記載されているのである。

価値のわからない連中が、価値をわからずに損害を出さないようにルール化しているのに、平気な顔して詭弁を弄してルールを反故にしていることに、議員の誰一人として異を唱えないとは情けない限りだ。安易に廃棄してしまえば、市全体の損失となる。少しでも財政の足しになるように努めるのが市行政の責務ではないのか。

市当局の解釈では、木は土地の一部だから、土地から離れた木は処分したのも同然だが、本移植が成功すれば再び土地の一部となって土地の価値を上げるだけの価値のある物である。すなわち、移植なり、チップにするなり、用途がある限り、市に所有権があるのでなければならない。にもかかわらず、協定では、本移植の目途も立っていない上、期間内に目途が立たなかった場合は市民団体が引き取ることとなっている。こんな場当たり的で滅茶苦茶な扱いができるのは、公有財産としてのルールに則っていないからに他ならない。

国立市役所の、樹木の市有財産としての認識やその扱い方は、いい加減すぎる。

国立市法務担当の詭弁