公共政策の倫理学(旧地方自治の倫理学)

元藤沢市議酒井信孝のブログです。

私の原点

鈴木彩子というミュージシャンをご存知だろうか?
高校二年のある日、深夜たまたまつけたテレビで彼女が歌っていた。
ぱっと見て、この人は本気だ、と思った。魂を感じた。
「罪深き英雄」というアルバムのライブ映像だった。
尾崎豊に似ている。
鬱屈した10代の、自由への闘争が歌われていた。
何も傷つけたくはないけれど、闘わずにはいられない、闘わずして生きてはいけない、どうしても譲ることのできないことがある。そんな自分の状況にシンクロした。
中古屋で「愛があるなら」というCDを見つけた。
7曲目「長い放課後」
ピンと来た。山形県新庄市いじめマット殺人事件(1993年1月)。
私が高校時代、校則問題をはじめ学校教育問題に取り組んだのは、94年11月の大河内清輝君自殺事件が強い問題意識となっている。
たぶん、私の思い過ごしに違いない。けれど、思い過ごしであっても、肝に銘じなくてはならない。
94年の夏。私は剣道の審査である体育館に来ていた。審査に合格し、安心したのもつかの間、登録料が必要なことが判明した。交通費しか持っていなかった私は途方に暮れたが、一緒に審査を受けていた見ず知らずのおじさんが貸してくれた。親に連絡を取り、お金を持ってきてくれることになった。後片付けをし、着替えて、控え室の柔道場の隅のベンチで何かを読んでいた。
少し離れたところに五六人の同世代の少年らが戯れていた。しばらくして柔道技のかけあいを始めた。見ていると、小さめの子が集中的にかけられている。からかうような感じで互いにニコニコ笑って戯れてるようにしか見えない。そのとき、一人が、すっ、と小柄な少年の財布をポケットから抜いた。戯れてるふうな様子が一瞬にして曇った。小柄な少年は悲しげな表情になり、返してくれと縋って行ったが、次々と仲間の間で回してからかい、その間もどつかれている感じだった。一瞬、うずくまり、泣いているような感じになった。そこへ、一人が財布から札を抜き「ほらよ」と投げて返した。すぐに少年は、しょうがないな、という表情を見せ、またふざけあうような感じになった。この出来事は一瞬のことで、傍から見ていると、全体としては仲間同士で戯れているように見えるのだった。
結局私は傍観していただけで、なんら手を差し伸べなかった。
それから数ヵ月後、大河内清輝君の事件が社会問題となった。愛知県西尾市の事件で、身近であったし、同世代の自殺、それもいじめが原因であり、現に身近にもいじめはあって、我がことのようにショックを受けた。
その後、注意して新聞やルポなどを見ていたら、清輝君が剣道部だったとあった。
はっ、とした。もしかして、あの時の小柄な少年は彼だったのかもしれない。
少年も審査を受けていた。少年も合格して嬉しそうに手続きをしていた。そして、仲間たちと思われる連中と戯れていた。
と、思っていたけど、あれはやはりいじめだったに違いない。
あの少年は清輝君ではないかもしれない。けれど、清輝君でなかったにしても、あれは確かにいじめだった。
いじめとはああいうものだ。傍から見ればふざけあってるように見えるかもしれない。そりゃ、いじめられてる方もいじめられているということが屈辱であるから、周囲の人間に悟られたくはない。あくまで、どちらも対等な仲間を装う。いじめている側も、いじめている自覚がなくて、圧倒的な理不尽な権力関係があるのに、あたかも当然の仲間関係のように思っていたりして、時には個人的に友人として助け合ったりもするから、集団の顔と、個人の顔で関係がまったく別であったりもする。
あの時、私が何かしらの行動を起こしていたなら、彼らの将来に何らかの影響を与え得たかもしれない。あれが、清輝君だったとしたら、自殺しなくてすんだかもしれない。
目の前にいながら、何も行動に移すことができなかったことが悔やまれてならない。状況が掴めなかったこともあるが、やはり、因縁つけられて彼らの暴力が我が身に降り掛かるのを恐れたのに違いない。情けない。
これ以来、少なくとも自分の手の届く範囲での理不尽な暴力には容赦なく介入してきた。現に起こっている暴力は許さないし、いじめを潜在させる構造や、個人の内に暴力を生む社会的な構造があれば、徹底的に批判し、改善するべく動いた。
見て見ぬ振りするのは、そこに自分が生きていないに等しく、自分が自分であるために、自分の正義を貫かざるをえなかった。
この思いは、今でも、私の基盤にある。
そんな折、「長い放課後」に出会い、すぐに山形県新庄市いじめマット殺人事件の情況を歌っているように思った。いじめの悲惨さ、苦しさを、痛いほどひしひしと感じる。

いじめは許さん。

https://sites.google.com/site/sakainobutaka2015/home/yuan-dian
(2006年にブログに書いた記事です。)