公共政策の倫理学(旧地方自治の倫理学)

元藤沢市議酒井信孝のブログです。

『市民派』とは

 個人に重きを置くか、個人を超越した存在に重きを置くかで、政治スタンスは大きく変わります。
 『市民派』と言っても、市民一人一人に向き合うのと、市民全体を一括りに捉えるのとでは大きな違いです。
 私は、社会の役割は個人の尊厳を守ることだ、と思っています。『尊厳』とは、言い換えれば『存在の価値』です。どんな価値があるかは見出す人によって様々で、無限の価値があるとも言えますが、その価値を守るという意味は、少なくとも価値を貶めない、ということです。社会のために個人の尊厳が奪われるなどは本末転倒です。
 しかし、集団にあっては、個人の権利はしばしば衝突します。そうした時に、強い者が優先され、弱い者が泣きを見るといった不条理は、第一義的になくすべきです。 一方で、公共事業は、限られた資源と財源を用いて最適化を図るため、個々人の損益より公共性を重視するべきです。まして公共事業が一部の強者を利することがあってはなりません。
 行政や政治に携わる者は、誰しも、利己のためでなく、市民のためを第一に考えていると信じたいですが、市民との双方向の関係が希薄であれば、市民ニーズを独り合点したり、自分の都合や論理に囚われてしまうこともあるでしょう。行政主導が招くそうした誤りを回避するには、透明化を図り、市民の多様な目で環視するなど、市民が行政に参加し共同することが必要不可欠です。とりわけ、市民の代表である議員が市民の声を反映するべく努めるべきです。

ただ現状を嘆くのではなく、その社会(問題)を構成する当事者として、何を目指し、その実現のためには何が必要で、何をしなければならないのか、を意識しながら、具体的に動くことが必要です。

いっしょに考え、いっしょに取り組みましょう!