公共政策の倫理学(旧地方自治の倫理学)

元藤沢市議酒井信孝のブログです。

緊急避難としてのトリチウム含有タンク処理水の海洋放出

確かに、どんなに危険な物質であっても希釈すれば安全基準・環境基準以下にすることはできる。

しかし、それら基準など気休めに過ぎない。全ての物質がどんな挙動をするかなど把握しようがないのだから。とりあえずわかる範囲で問題は見いだせない、というに過ぎない。リスクが潜んでいるかどうかは、発覚してからでなければ分からない。

現代文明は、極めて無責任で利己的に、我が物顔で地球の生態系を攪乱してきた。さんざん、回り回って自らの首を絞める経験をしてきたはずだが、その都度後悔し、すぐにまた目先の利己に溺れる、の繰り返し。

基準以下であればいくらでも排出していい、という論理はおかしい。とりわけ人為的に作られた物質を排出すれば生態系には自然ではない影響を与える。それが悪影響か良い影響かに関わらず、できるだけ生態系に影響のない形にして排出するべきだし、それは少なければ少ないだけいい。

2022年の夏には福島第一原発の汚染水タンク用地が限界となるために、タンク処理水の処分方法が喫緊の課題となっている。取り除くことのできないトリチウム以外の放射性物質濃度も安全基準濃度以上であることから、再処理してそれらを取り除くのは大前提だが、安全基準以下になったからといってタンク処理水を海洋放出してもいいものか。

自然界にも放射性物質は存在するし、自然放射線は宇宙からも降り注いでいる。トリチウム三重水素)は自然界に一定量、常に存在している。雨水や水道水には1リットル当たり0.1~1ベクレルほどのトリチウムが含まれている。ヒトの体内には常に数十ベクレルのトリチウムが存在するらしい。しかし、放射線は人体に有害である。少しでも少ないに越したことはない。

世界中、どこの原発からでもトリチウム水が海洋放出されている。福島原発では、サブドレンから汲み上げられた地下水は、建屋由来の汚染水と同様に汚染されているのに、トリチウムが残存したままのサブドレン処理水が海洋放出されている。

だからと言って、タンク処理水を希釈して安全基準以下にすれば、これまでも問題なかったのだから海洋放出しても問題はない、というのは極めて傲慢。まして福島原発のタンク処理水には安全基準以下であったとしてもトリチウム以外の放射性物質が必ず含まれているのだから、海洋放出などしないに越したことはない。

それでも、汚染水は廃炉作業が終わるまで、数十年間は出続ける。本当にあと40年程度で廃炉作業が完了するというのであれば、現在のタンク用地の4倍程度の用地を確保すればいいわけだが、実際にはそんな見通しも立ってはいない。

緊急避難としては致し方ない。パイプラインを何本もひいて、遠洋の複数個所で、できるだけ拡散するように放出する、というのが、現実的にはやむを得ないように思われる。
それにしても、そんな緊急避難をしなければならないような事態を招いたことを猛省し、二度と繰り返さぬように戒めるのでなければ進歩がない。

原子力発電は、これほどのリスクを冒すほどに必要なのか?現時点では必要悪だとしても、持続不可能。放射性廃棄物は溜まる一方であるし、事故対応など、コントロールしきれない。原発が必要でない世界を目指すことを前提に、生み出してしまったからには、なかったことにはできないのだから、後を片づける責任を引き受けていかなくてはならない。

参考資料

<福島第1原発>処理水「22年夏に満杯」タンク保管量を東電推計 | 河北新報オンラインニュース
https://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201908/20190809_63020.html

【HBO!】議論再燃。「処理水海洋放出」は何がまずいのか? 科学的ファクトに基づき論点を整理する
https://hbol.jp/202689

経済産業省トリチウム水タスクフォース報告書参考資料集(2013年)
https://www.meti.go.jp/earthquake/nuclear/osensuitaisaku/committtee/tritium_tusk/pdf/160603_02.pdf

多核種除去設備等処理水の取扱いに関する小委員会(第8回)‐配布資料(2018年)
トリチウムの性質等について(案)」
https://www.meti.go.jp/earthquake/nuclear/osensuitaisaku/committtee/takakusyu/pdf/008_02_02.pdf