2016-12-10 解釈の恣意性 解釈のしようは、自分のしたいようにいかようにでもなるものであって、人は自分に都合よく解釈するものである。 解釈の仕方を争ったところで、あまり意味はない。 解釈は自分のしたいようにそれぞれすればよい。 問題は、どうしたいか、ということだ。 解釈というのは、正当性があるように強がって見せているだけで、結局は、どうしたいのか、が一番重要なのである。