公共政策の倫理学(旧地方自治の倫理学)

元藤沢市議酒井信孝のブログです。

オリンピックをどうするのか国民的議論の必要性

オリンピックを中止し、浮いた予算はコロナ被害対策に充てる、と主張する都知事候補がいる。
だが、中止した場合、予算が浮く、などということはあるのだろうか?

収益がなくなるだけでなく、多方面で違約金も発生する。
オリンピックを誘致したのは、掛かる費用より国全体としてみたときに莫大な収益・経済効果が見込めたからだろうが、既に莫大な費用を掛けてしまっているのだから、中止した場合、さらに延期した場合、1年後に簡素化開催した場合、それぞれの収支を計算した上で、次善の策を見出さなくてはならない。

そもそも、オリンピックなど誘致するべきではなかった、と私は思うが、誘致してしまったからには、開催の仕方は工夫するべきだが、途中で投げ出すなどという無責任なことはするべきではない。
しかし、既に延期となったことで、前提が崩れた。
これまでは、誘致した都市として、契約通りに開催することを強いられてきたわけだが、延期した一年後には、何が何でも開催できるように強い圧力が掛かっているようには見えない。むしろ、中止せざるを得ないような状況で、開催都市側から中止だけは何とか避けたい、としがみ付いているような恰好になっている。

想定外の非常事態に陥った今、オリンピックをどうするのか、国民的議論、国民的合意形成が必要だ。
選挙期間中に、国民的議論、論点整理、情報整理がなされるのであればいいが、感情論的に、中止だとか、延期だとか、簡素化だとか言われても、有権者としては判断材料がなさ過ぎて比較のしようもなく、首長選挙の争点としてはふさわしくない。
誰が当選しようとも、オリンピックに関する公約が信任されたなどとは思わず、国民的議論に付すべきだ。