公共政策の倫理学(旧地方自治の倫理学)

元藤沢市議酒井信孝のブログです。

藤沢市議会史編纂問題の論点

①計画性のなさ
 過去2回も編纂の経験がありながら、なぜ次回の編纂を見越して用意周到に準備してこなかったのか?計画性がなく、場当たり的に編纂したところで価値ある議会史などできようはずもない。公益に適わず、議会関係者の自己満足でしかない。

②市財政への負担
 突然、何の準備もなく、いきなり30年史を作ろうとするから、莫大な費用が掛かり、市財政を圧迫する。市財政にそれだけの負担を掛けるほどの大義があるのか?費用を掛けても、準備がないから、価値のない物となるのは自明。(ドブに金を捨てるようなものだ。)
 毎年コツコツ積み立てていれば市の負担を平準化することもできる。編纂室を常設し、コツコツ資料を整理したり記録に努め、毎年少しづつ費用を掛けて準備していれば、議会の情報公開にも活かすことができるし、余程有意義なものとなる。
 税金を使う立場として、それを無駄にしないための最低限の努力・責任が果たされておらず、その資格がない。

③完全市民無視
 ほとんどの自治体があえて打ち切っている中、あえて藤沢市でやることの大義が全く説明されていない。(あるのか?)
 そして、それほど稀有な事業に、莫大な税金を支出しようというのに、その出資者たる市民に対し、公式な説明は皆無。
 どうしてもやらなければならない事業でも、やった方がいいから用意周到市民合意をはかりながら準備してきた事業でも、ないのである。
 まったくに、議会内だけの談合で、議会本位の独善で、市民を無視して進められている。市民を馬鹿にしている、みくびっている、としか思えない。

④不透明性、密室性
 議会史編さん委員会の会議は公開となっているが、議事録は公開されていない。
http://shigikai.city.fujisawa.kanagawa.jp/vo…/g08v_views.asp
 昨年12月に議会運営委員会で議会史事業中止を求める陳情の審査があって以来、議会史に関する公式な会議は開かれていない。陳情審査では、全ての会派が一致して予算縮減の必要性を主張した。しかし、未だ当初の1億7千万円の想定予算が示されているのみで、具体的な縮減案が出ていない。水面下の議論すらないまま初年度予算を計上しているのであればより悪質だが、これだけ批判を浴びているのに、議論の過程を公開しないで市民理解を得られるわけがない。
 議会史編さん委員会自体が、議会史編纂以前の、平素からの議会運営の不透明性、密室性、情報公開の足らなさ、といった根本的な藤沢市議会が抱えている問題を自覚していないのである。