公共政策の倫理学(旧地方自治の倫理学)

元藤沢市議酒井信孝のブログです。

藤沢市議会史編纂委員長の詭弁

議会史編纂委員長の詭弁(シェア元へのコメント)

「1億7千万円が1人歩きしている」
 むしろ、この額で収まる保証はありません。
 前回編纂の30年前とは、時代背景や技術、経済情勢など、全く違う状況にあるのに、どのような議会史にするのかといった事業計画を詰める前に、前回を参考に想定予算を出し、そんなどんぶり勘定のまま、見切り発車で初年度予算を計上しようとしているわけです。
 初年度から事務所スペースはフルに借りる予定だそうですが、編纂委員会が検討するだけであれば、議会の会議室で事足ります。
 1億7千万円の事業想定でスケジュール案も出されており、現にそれに沿って進行しています。
https://drive.google.com/file/d/1e3oDfy9oQd-V-YWX3kVxUOE1Ms0chefi/view?fbclid=IwAR17IJBiLCMw0JZgbrLV2KP5zYJCENvbcBfTeqPRuC5jpncvBbYOAWrzwz0
 どのような議会史であれば市民理解が得られるのか。予算に見合った意義あるものとなるのか。そうした政策決定過程の議論の後に事業化するのが本来の進め方です。事業化を決定してから内容を詰めるなどというのは本末転倒で、どれだけ内容が膨らんでも、内容がなくなっても、歯止めが利かなくなります。

「議会史の必要性」
 本当に必要なら、なぜ編纂に備え準備してこなかったのか?本来なら、編纂に備えて編纂方針を策定し、その方針に従って常に記録や資料の保存を行っていなければなりません。予算にしても、毎年積み立て、市の財政に負担を掛けないようにするべきです。
 そうした日々の積み重ねもなく、いきなり、たまたま残っている資料を恣意的に引っ張り出して、その資料の真価を検証することもなく拙速に取り繕って編纂したところで、意義のある歴史書となるわけがありません。
 むしろ危険です。どれだけ杜撰で恣意的に作られた議会史であっても、権威付けされ、あたかもそれが史実であるかに扱われることになります。
 生の資料をデジタルアーカイブすれば、検索システムを備えることで、誰でもが、いつでも、必要な原資料を得られるようにできます。
 百条委員会など、重大事件は特集をしたい、といった意見もありますが、そうしたことは、案件ごとに議会で検証委員会を設置するなどし、その記録を残せばいいのです。議会史といった一括りの通史をつくる中で、特定の出来事だけピックアップするというのも不自然です。

「市民への説明責任」
 これまで、藤沢市議会は、市民に対して議会史に関する説明を一切行っていません。議会だよりやホームページなど、いくらでも広報手段はあるにも関わらず、一言も触れていません。にもかかわらず、事業化を決定し、予算計上までしようとしています。
 来年度の当初予算に潜り込ませ、既成事実化しようとしています。市民理解を得よう、市民の意見を踏まえよう、といった姿勢は皆無です。市民無視も甚だしい。

<編纂委員会の密室性>
 編纂委員会は既に2回開催されています。公開の会となっていますが、議事録は作成されておらず、ネット中継もありません。開催日時の周知もありませんでした。この委員会の進め方自体が問題です。

<議会史を編纂する資格があるのか?>(再掲)
 藤沢市議会は、会議中に『休憩』を濫発し、議事録は虫食いだらけ。会議資料の掲載もしていない。実質的に最高意思決定機関となっている非公式な代表者会の議事録もない。
 普段、都合の悪いことを隠し、後から都合のいい歴史を創る。
 このような隠蔽体質、ご都合主義が常態化している現状を棚に上げ、巨額な税金を使って議会史を編纂する資格が今の藤沢市議会にあるか?