公共政策の倫理学(旧地方自治の倫理学)

元藤沢市議酒井信孝のブログです。

市民を代理している自覚があるのか?

 本日の議会運営委員会で、この2月定例議会からタブレット端末を全議員に導入するにあたって、議員が発言時に配布する資料の扱いについて議論がありました。
 「そもそも議員が持ち込む資料を全議員で共有することに疑問」「その場で見れればよくて配布資料はいらない。」「データを共有フォルダに残す必要はない。」(全て同一議員(民主クラブ))という意見がありましたが、全くの暴論だと思います。
 議会での発言や出された資料は、すべて公式に議会で扱われたものとなり、いつでも市民が見られるように記録し、閲覧できるようにするべきものです。
 しかし、これまでは配布資料は議場で配布されるだけで、公式な記録として残っていませんでした。電子化・ペーパーレス化で少しは改善されうるところ、配布すら必要ではないと言うのは、議会が今以上に不透明で市民離れしたものとなってしまいかねない危険な意見ですが、そうした暴論に対してほぼ反論が出ないということに危機感を覚えます。相手にしていないということだけかもしれませんが。
 議会での資料配布は、議員個人のためではなく、議会を通じて市民に対して情報提供しているのである、というのは大前提です。