公共政策の倫理学(旧地方自治の倫理学)

元藤沢市議酒井信孝のブログです。

議会を巻き込む続柄廃止運動

続柄廃止論!?
 続柄廃止運動というのをご存知でしょうか?
 戸籍の続柄記載が婚外子差別に繋がるから廃止しろ、という運動です。
 藤沢市議会にも2016年12月定例会に『婚外子差別撤廃についての請願』があり、反対したのは私一人だけでした。そのため請願は藤沢市議会の意見書として国へ提出されました。
 この時の議事録を読み返すと、明らかに議論が噛み合っていません。私が言わんとすることが全く理解されていませんが、果たして皆様はいかがお考えでしょうか?

(議事録抜粋)https://drive.google.com/open?id=1orZILtu7jFv_p8ocz9exDQF7xp-oN7c8

 この請願には2点の主張があります。出生届にある「嫡出子・嫡出ではない子」の欄を廃止することと、戸籍謄本における続柄の記載を廃止すること。いずれも婚外子差別に繋がるというのが理由ですが、私が反対したのは、続柄記載廃止の部分です。出生届の欄については、なくなっても行政手続き上何ら問題がないとの答弁でしたので、必要ないと私も思います。
 婚外子差別というのは、嫡出子と非嫡出子とでは、法定相続に差があり、非嫡出子は嫡出子の2分の1となっていたのですが、2013年に違憲判決が出て、改正されました。このことで法的な不利益は解消されたわけですが、巷には、就職時や結婚時の婚外子差別が依然として残っているそうです。
 また、2004年までは戸籍の続柄欄に、嫡出子の場合は「長男、長女、二男、二女」などと書くのに対し、非嫡出子の場合は「男、女」とのみ書かれていました。2004年11月の戸籍法の改正でこの差別的な区別はなくなり、「長男、長女」の書き方に統一されました。それ以前の出生で、「男、女」と書かれている場合は、更正の申し出で書き換えることができます。さらに更正の跡が残らないように戸籍を再製することもできます。
 これによって続柄の表記の仕方による嫡出子・非嫡出子の区別(差別)はなくなりました。しかし、実際には、更正の申し出がなされず、そのままになっている人が多いため、いっそのこと不必要な続柄記載は廃止すればいい、というのが二つ目の請願項目です。
 現行制度では再婚した際などに、「最初の婚姻で長男、二男が生まれ、再婚後にさらに長男が生まれ、同一の戸籍にいるというケース」があり、混乱を生じる。もともとは家督相続の順位を明確にするためのものであり、家督相続の制度がなくなったのであるから、実父母や養父母の記載だけで十分である、というのが請願者の主張です。

<私の意見>
差別と差別語の禁止 差別被害をなくすことと、差別に繋がる区別自体をなくしてしまうこととは次元が違います。
 例えば、男女差別をなくすために、性別という概念自体をなくしてしまう、というのはあまりに乱暴です。性概念をなくしたところで、性という実態を伴う事象が存在するのですから。差別語はそれ自体が暴力性を持っているのであれば使用を規制するべきでしょうが、言葉・概念自体に悪意がないのであれば、悪意を持った使用を規制するべきなのではないでしょうか。


差別語である『嫡出』
「嫡出」という言葉には正統という意味があり、私生子(婚姻外で生まれ父の認知を受けない子)より庶子(婚姻外で生まれ父が認知した子)、庶子より嫡出子といった順で優遇されていた歴史があります。「嫡出」という言葉自体が差別語であるから、行政から排除する(出生届から欄を除く)、というのは良いかと思います。単に婚内子、婚外子とすれば事足ります。
 そして、世間においても、婚外子であることで不利益を被るような差別は撲滅するべきです。
 一方、続柄については、記載の仕方は是正され、過渡的に古いままの表記が残っているものの、それは過渡的な問題なのであって、続柄自体の是非とは直接には関係ありません。

続柄記載の価値
 請願者は「もともとは家督相続の順位を明確にするためのものであり、家督相続の制度がなくなったのであるから、実父母や養父母の記載だけで十分だ」と言いますが、それだけではわからない情報が続柄には含まれています。読み取れる情報は限られてはいますが、リンク先の例などの場合、二女とあれば、兄や弟、妹の存在はわかりませんが、少なくとも戸籍外に姉がいることは分かります。また、長女とあれば姉はいないことが分かります。
https://makino-law.com/wp-content/uploads/2018/11/%E5%B9%B3%E6%88%90%EF%BC%96%E5%B9%B4%E5%BC%8F%E6%88%B8%E7%B1%8D%EF%BC%88%EF%BC%91%E6%9E%9A%E7%9B%AE%EF%BC%89.jpg
 いろいろな経緯がありうるので、続柄から読み取れる情報が正しいのかどうかは、改製原戸籍や親の親の戸籍謄本などを調べる必要がありますが、そうした経緯を含め、続柄はいろいろな情報を与えてくれます。
 すなわち、現行の続柄表示には、実父母や養父母の記載があるだけではわからない情報が含まれており、続柄は無意味、不必要、とまでは言えない、というのが私の主張です。特に本人にとっては兄弟姉妹の情報を知る機会ともなります。
 続柄に対する価値観には、各人の家族観が影響しているように思われます。兄弟は他人の始まり、とも言いますから、大事なのは親子関係だけだと言う人にとっては兄弟の存在など関係ないでしょう。

日本独特な戸籍制度
 家族間にどのような相続などの既得権を与え、養育義務や扶養義務を課すか、といったことは社会制度の在り方の問題です。戸籍制度は家族の範囲を明確にするための役割の他、個人の情報を社会が管理するという側面があります。この情報としての価値という意味で、続柄表記にも価値がある、と私は主張したわけですが、そもそも家族の繋がりを社会が管理することの必要性があるのか、どうか。
 日本独特の戸籍制度自体の是非こそ問題にするべきなのだと思います。この前提を踏まえずに各論を議論しているところに無理があります。
(参考)http://www.hirokom.org/minpo/siryo02.html
 戸籍制度の問題として、夫婦別姓が認められていないことや、対等ではない戸籍の順位(筆頭が夫婦のどちらなのか)、といった問題があるために事実婚を選択する夫婦は、社会制度上の不利益を様々被っています。