公共政策の倫理学(旧地方自治の倫理学)

元藤沢市議酒井信孝のブログです。

中学の保健体育で必修となっている武道の種目に銃剣道が追加されたことが話題になっていますが、そもそも武道を学校教育で教えるということの意味とは?
 文科省は以下のようにホームページに謳っています。
「武道は、武技、武術などから発生した我が国固有の文化であり、相手の動きに応じて、基本動作や基本となる技を身に付け、相手を攻撃したり相手の技を防御したりすることによって、勝敗を競い合う楽しさや喜びを味わうことができる運動です。また、武道に積極的に取り組むことを通して、武道の伝統的な考え方を理解し、相手を尊重して練習や試合ができるようにすることを重視する運動です。」
http://www.mext.go.jp/a_menu/sports/jyujitsu/1330882.htm
 日本で発祥し、日本の文化の一つであることは確かですが、武術というのは武士(すなわち軍人)の戦闘術であり、それはすなわち相手を殺すための技です。自他の死に向き合う真剣な鍛錬の中で精神性が高まり洗練され、原始的な武器の使用が禁止された現代においては、人間形成のための修養の道としての武道へと発展したのだと、私は解釈しています。
 いくつかの武道はスポーツ化しましたが、すべて元をたどれば究極的な意味では殺人術であるのです。剣道などでは、単に竹刀が頭に当たればいいのではなく、のど元まで切り下ろすほどの打突でなければ本物ではない、そんな程度では相手は死なない、といった表現がありふれています。そうした死を意識した真剣さがあってこそ本物の稽古となるわけですが、そこまでの稽古を限られた保健体育の授業の中でできようはずもないし、普段から稽古しているわけではない保健体育の教員に精神性までを含んだ指導ができるとは思えません。単にスポーツの部分だけを中途半端に教えたのでは、むしろ野蛮な格闘術として不用意に身につけてしまう可能性もあります。
 武道の精神性というのは、まさしく日本的なものなのだと思います。しかし、そこにある死生観というものは一つ間違えば狂気ともなりえるのです。そうした狂気をはらんでいるところに日本の美学や精神性があるようにも思いますが、踏み外さないための自律心を同時に学ばなくてはなりません。
 武道を学校教育に取り入れるのはいいと思いますが、保健体育のカリキュラムの中で数時間程度気軽に体験する、というには向いていないようにも思います。文科省が言うように「攻撃」や「防御」で「勝敗を競い合う楽しさや喜びを味わう」と言っても、武道の「攻撃」や「防御」は直接の痛みを伴うのですから、一般的なスポーツやゲームと同列に考えるのは安易すぎます。
 はたして、武道を通して、どのような教育効果を期待しているものなのでしょうか?