公共政策の倫理学(旧地方自治の倫理学)

元藤沢市議酒井信孝のブログです。

支払い事務のミス発生が常態化

<支払い事務のミス発生が常態化>
 現場担当者の事務のミスや遅れが一定程度発生するのはあり得ることだとしても、健全な組織であれば、それが自ずと修正されるような相互チェックや連携、起きたミスを繰り返さないように改善する自律性が備わっているものです。

しかし、今回発覚したことの最大の問題点は、こうした業務上生じた課題が記録されず、庁内で共有されずに繰り返していたという実態です。『リスク発生時の記録票』や、管理職が人事評価のために部下を指導した記録などを残すための『行動記録シート』といったものがあるにもかかわらず、ほぼ活用されていないことも見えてきました。

ミスや遅れがあっても業務が完了していれば、担当者はリスクの発生を自覚しているはずですが、課内もしくは担当者レベルで止まって(隠蔽?馴れ合い?)いたのです。そうしたリスク発生時の記録が課内や庁内で共有され、常に改善が図られていれば、同じようなミスが方々で繰り返されることなどないはずです。(組織としてミスを自覚していながら改善できないのであれば、そのような組織は機能不全で破綻します。) 


<PDCAの根幹たる文書主義の欠落>  
市民の税金による公共事業を担う自治体は、出資者たる市民に対する説明責任が常に問われる公明正大な組織でなければなりません。にもかかわらず、藤沢市役所は、組織の体質が、個人的な感覚による独善に陥っているのです。説明責任が果たせずに市民理解が得られずに揉めている事案が散見されますし、認識不足による無自覚な不祥事や確信犯による不正の発覚が続いています

組織の自律性が失われ、自浄作用が機能していません。大きな要因の一つは、文書主義の形骸化だと思われます。文書主義が実行されていないために、組織の基本であるPDCAサイクル(計画・実行・評価・改善)ができていないのです。記録し、それを共有していれば、独善は通用しませんし、不正はあぶり出されます。課題が共有され、衆知を集めることができます。常にそれを持って説明責任が果たせます。しかし、藤沢市政では、政策決定の過程を検証しようとしても、ほぼ全てに渡って公文書の作成・管理が不十分で、まったく検証に堪えません。
かなりの重症です。昨年度から公文書条例を施行したり、不祥事の度に内部統制制度の改善をはかるなどしてきましたが、仕組みがあってもそれを使いこなせていないのであれば意味がありません。PDCAサイクルを実現するための文書事務のあり方や組織体制を抜本的に見直し、再構築するべく取り組んで参ります。