公共政策の倫理学(旧地方自治の倫理学)

元藤沢市議酒井信孝のブログです。

利己は恥ずべきこと

グレタさんはまさに根性論(本気度)を説いている。それが幼稚と言えるのか?私の感覚では、わがままな子どもが自律心(理性)を身に着け大人になる、というのが人間の発達のイメージだが、現代社会では、成人以降、自律心が退行し、これが逆転(大人が子供化)しているように思われる。

 現代社会の、自分本位で利己的な、欲に溺れた、無責任なやり逃げ、に対する怒りに、至極共感!
 個人がプライベイトで利己を優先するのは致し方ないが、社会的営みにおいても利己が罷り通り、社会自体が社会性・理性を失い利己的になっている。
 そもそも、CO2が温暖化の原因であるなし以前の問題として、資源を使い果たす勢いで使いまくってもいい、という権利があるのか?
 手に入れたものは、自由に使う権利がある、という私的所有の概念に問題があると思われる。
 元々、すべての物質には所有者などいない。それを私物化し、所有権を認めるのが、私有財産制度。
 単に所有しているだけではなく、それを消費すれば、その個人の行為の影響は個人の範疇には収まらない。
 使ってもまた産出することができる物はまだしも、循環しない行為は、将来世代を含む人類全体に影響が及ぶ。
 資源や自然環境を人類共有の財産と位置付け、管理し、その私物化を公的に制限する仕組みをもっと強化しなくてはならい。
 利己的な経済活動を抑制する必要がある。
 自由競争を用いた社会の発展モデルから転換する必要に迫られている。
 少なくとも、分かち合い、無駄な消費をなくす、合理的な社会へ転換するべきだ。


 グレタさんが主張していることは、将来にツケを回すような無責任を改めよ!ということだと思います。問題を孕んでいるのに、その解決をしないまま実用化していることが多すぎます。グレタさんが原発を容認しているとは思えません。
まず、電力依存をどこまで減らせるのかを考えた方がいいかと思います。電力消費量も物の消費もかなり個人差があります。なければないなりに済むものを、消費が推奨されている経済構造であるゆえ、無駄な浪費がかなりあると思います。
例えば、10年前のことではありますが、ウズベキスタンの地方都市では、毎
計画停電があり、通電しているのは一日の半分程度でした。ガスは比較的止まりませんでしたが、水道も同じでした。それでも、人々はそれを前提に生活していました。
次世代のエネルギーを考える必要はありますし、いろいろな研究がなされていますが、何より、そうして頑張って無理して作っている電力を、本当に必要なことにだけ使っているのか?
一人当たりの電力消費をここまで抑える、といった明確な目標を立て(クールビズ程度の気休めではなく)、それにあった社会づくりをしていくべきではないかと思います。