少人数教育の必要性
インクルーシブ教育という教育運動もあるわけだが、多様な生徒が一同に会し、多人数で授業を受けるということが如何に難しいことか。
それを可能にするのは、教師と生徒の間の権力関係、主従関係だったに違いない。そうした旧来の暴力的な教室空間はようやくに改善されつつあり、教師の体罰が絶対悪だと徹底されるようになってきたのは望ましいことだが、コントロールするための力である権力関係がなくなれば、当然に抑制は効かなくなる。
本来、多様な個性に応じた教育をしようとするのであれば、一対一で対応できるくらいの密度が必要。集団活動の機会があることは好ましいが、すべてを多人数のクラス単位で一緒に教育しようということに無理がある。
必要としている学びも、成長のスピードも、それぞれ違う。多様な個性が狭い教室に押し込められ、画一的な振る舞いを強要され、反発する生徒が出てこない方がおかしい。それを教師一人で面倒みるという仕組み自体がどうかしている。
その子どもの可能性を最大限に育むためではなく、面倒な子育てを引き受けるためのシステムでしかない学校教育。本来的に、人間の尊厳を踏み躙っているのである。
一般の学校でも、特別支援学校と同程度の教職員配置を目指すべきだ。
教師の体罰をスマホ撮影する「告発動画」が相次ぐワケ