公共政策の倫理学(旧地方自治の倫理学)

元藤沢市議酒井信孝のブログです。

事実の歪曲、情緒的正当化、思い込み、誤認識、支離滅裂(上村市議)

事実の歪曲、情緒的正当化、思い込み、誤認識、支離滅裂

二小樹木移植中止陳情上村議員質疑部分と討論PDF

質疑部分動画(31:00~)へのリンク
討論部分動画(1:45:53~)へのリンク

・計画性の無さが一番の問題であり、計画の事前チェック(特に業者選定の妥当性)ができていないから、落ち度だらけで、説明責任が果たせていないのである。
・明らかに8月17日の近隣説明会では危惧する声が大半を占めていたのに、それを「そんなに多くはなかった」との教育部長の虚偽答弁。発言者の割合など、なぜ数を示さない?
・基本的な安全管理ができていないことを問題にしているのに、「100%の安全確保は難しい」「ゼロリスク」と極端なことを言って誤魔化すのは、苦し紛れの逃げ口上に過ぎない。
・擁壁の傾きチェックはこの審議の前日にやっただけなのに、「移植後に」とあたかも計画的にやっているかの答弁。以前からの深い亀裂を認めながら、「腐食をしてしまう恐れがあるため」と楽観視。既に腐食していないわけがない。
・協働のルール違反だけではない、安全確保等、法令遵守を怠っている協定違反や、行政が責任を放棄して丸投げしている協定自体の違法性を指して「超法規的」と言っているのに、問題を矮小化。
・「協働のルールというのは、協定とか協働関係が結ばれた後にルールというのが発生していくというふうに私は思う」とまったくに自己正当化のための曲解。そもそも、実施設計の樹木伐採にしても、こういう水面下での政策決定が市民理解を得られない事態を生んでいるのに、同じことをやっているのが分からないのか?
・国は地方自治法上、法令違反等があれば、地方公共団体へ様々な関与の仕方ができる。道路法を所管する国交省が、道路管理者に対して指導する立場にないわけがない。
・木を残せば温暖化対策になるとの思い込み。
・「彼ら(造園家)が感覚的にしか表現できない、その感覚こそが実は今一番必要な安全の担保」と行政の説明責任の放棄を容認。
・「ここが崩壊するという危険性はほぼないと踏みます」との過信、妄信。
・環境教育の題材とするのであれば、生命倫理等、様々な問題点を踏まえるべきであるが、単に美談としていることの危険性。
・行政の決裁には様々ある。市民対応する権限のある担当者が市民対応することに決裁は必要ないだろうが、組織外に及ぶ行政行為に決裁がないわけがないし、様々な記録という形の決裁もある。何の決裁が無いと言うことなのかを明確にせず、あたかも何の決裁もないかのような言い掛かり。
・なぜだか「大きな木は大切だよ。大きな木を守ろうね。」と大きな木への固執
・過去「最悪を想定するのが危機管理の基本」と上村議員は度々発言してきたが、根拠のある危険性への指摘に対し、危機感を煽っている、との変節。
・上村議員が取り上げたチラシは、私が資料提出したものではない。にもかかわらず、私への確認を一切せずに、その中身に関して言い掛かりを交えて勝手に取り上げた。議会運営の一般原則を逸脱した傍若無人ぶりにはあきれるばかりだ。