公共政策の倫理学(旧地方自治の倫理学)

元藤沢市議酒井信孝のブログです。

買い物難民を救うライドシェア

公共交通が不便な移動困難地域は方々に存在し、高齢者の免許返納が推奨される中、買い物難民がどんどん増えている。
 移動は生活の質に係わる人権である。
 公共交通がある所と無い所では住み易さに格段の差が出る。しかし、民間事業者は採算が取れない地域では運行しない。ならば、そうした地域では公共が費用を負担してコミュニティバスなどを運行するべきだ。
 藤沢市では、一部実施しているコミュニティバスも、受益者負担だとして運賃がかなり割高なため普及していない。本来、移動を権利だとの立場に立てば、民間水準以上の費用は公共が負担するべきだが、藤沢市にはそうした意識はないのである。

 先日の厚生環境常任委員会で「ライドシェアの推進に対する慎重な検討を求める意見書提出についての陳情」が全会一致で主旨了承となったが、はたして市民感覚を反映していると言えるだろうか?

陳情書

 私は、むしろ、ライドシェア(相乗りマッチングシステム)は多いに推進するべきだと思う。(すなわち、この陳情には反対!)
 タクシーは割高であり、一般市民の日常的な乗り物となっていない。タクシー運賃が規制されている理由が以下のリンク先にある。
https://goukakusihosiken.blog.fc2.com/blog-entry-141.html
 公共性・公益性があるから、利用者のために価格の上限を規制するというのであれば理解できるが、業者を守るためにやすくできないようにしているという。その結果、裕福な人、もしくは緊急時にしか利用されないていない。百歩譲って、緊急時のためというのが公益性だとしても、そのために一般の人が必要としているのに、気軽に利用できないような価格となっているのは本末転倒ではないのか?
 そもそも、白タクの問題は、ぼったくりや何か事故があった時の補償といった信用問題があるに過ぎない。それは運転手を登録制にし、搭乗者傷害保険の義務付けさえすれば解消される。
 「買い物難民」となって苦しんでいる人が増えているのに、公共も民間事業者も現状では役に立たないのであるから、ライドシェアを普及することで、一般市民同士が助け合えるようにするのは極めて合理的である。ライドシェアの公共性・公益性に比べ、タクシー業界の既得権を守ることにどれほどの公共性・公益性があるというのだろうか?