公共政策の倫理学(旧地方自治の倫理学)

元藤沢市議酒井信孝のブログです。

大和市歩きスマホ禁止条例の異常(違憲性)

news.tv-asahi.co.jp

 ゆっくり歩こうが、早く歩こうが、景色を楽しみながら歩こうが、話しながら歩こうが、他人に迷惑を掛けない限り、まったくに個人の自由だ。他人に文句を言われる筋合いはない。
 大人も、子どもも、怪我をしていても、障害があっても、自由に歩く権利がある。
 だが、大和市は「市内の道路、駅前広場、公園などの公共の場所(室内などを除く)で歩きスマホ(画面を注視しながら歩行すること)を禁止」(大和市ホームページ)した。http://www.city.yamato.lg.jp/…/d-sei…/arukisumaho_00001.html
 人口過密な場所や時間を限定して規制するのならまだしも、公共の場所における歩きスマホを一律に禁止するなどというのは、まったくに常軌を逸している。
 傍からスマホ画面を注視しているように見えても、どの程度意識が集中しているかは人それぞれであるし、慣れや能力も千人十色。
 ながら歩きで注意が散漫になるとしても、歩行能力への影響は千差万別。
 スマホは多機能型携帯電話。どんな機能をどのように使っているのかも人それぞれ。
 ほとんどの人間は、人混みの程度や周辺の環境によって、無意識に状況を判断し危険を回避している。(この番組内の検証は不適切)
 お互いに事故が起きないように気を付けなければならないし、事故が起きれば過失は問われる。
 だからといって、常に、最大限の緊張感を保ちながら歩かなければならないとでも言うのか?
 歩き方にケチをつけるのは、歩行能力の劣る人は歩くな、と言っているに等しい。
 弱者排除の強者の論理。
 歩いて移動することは二足歩行の人類にとって根源的な権利である。
 歩く自由は、もっとも守られるべきだし、交通弱者である歩行者の安全や自由を第一に優先して社会づくりをするべきだ。
 それこそが住みやすい、暮らしやすい街づくりである。
 歩き方を規制するなどもってのほかだ。
 大和市長は番組の中で「自分自身を守る意味からも必要な条例」と言っているが、公権力が個人の価値観の領域に踏み入る暴挙であるし、おせっかい極まりない。
 さらに、罰則を設けていないのは「日本人の感性に期待を掛けるのが重要」とも言っているが、罰則がなくとも禁止と決められれば従順に従うのが日本人の感性だとでもいうのか?
 市の広報チラシには「感染症対策でも国は罰則を設けていませんが皆さん自粛を行いました」とある。各人が主体的に必要性を判断した上で大部分が共通認識を持ち同じ方向を向けることと、各自各様で多様な価値観があることに一つの価値観(それも不合理な価値観)を押し付けるのとではわけが違う。
 理念条例であっても、自治体が公費を掛け、公共政策として大手を振ってキャンペーンを張れば、個人の自由は脅かされる。
 公共のやっていいこと、やるべきこと、を逸脱している。
 大和市というのは、なんと生きにくい監視社会であることか。
 おちおち歩きスマホすらできない危険な街、大和市