公共政策の倫理学(旧地方自治の倫理学)

元藤沢市議酒井信孝のブログです。

壊れている国立市の議会制民主主義

選挙戦においても繰り返しお話ししていましたが、国立市の議会制民主主義は壊れています。民主主義の必要条件を欠いています。
知る権利が保障されていることは民主主義の大前提です。
確かに、国立市議会のほぼ全ての会議は公開されていますし、会議録も作成されてはいます。形としては開かれおり、傍聴していればほぼ全てを知ることはできます。しかし、傍聴者は報道を含めてほぼおらず、会議中に込み入った議論になると「休憩」を多用。その間の議論は、ネット中継では音声が切られ、会議録には掲載されない。そして、紙の会議録はあっても、今時どこの自治体でも全てをネット上の検索システムで検索できるのに、国立市議会は本会議しか検索できない。その分、それぞれの議員が議会で起きていることを発信しているのであればまだしも、議員ですら所属外の委員会をほとんど傍聴していないし、把握してもいない。
実態として、国立市議会は、構造的、そして意図的に、市民の知る権利を制約しています。
これらの議会運営の仕方は全て現職議員たち自身で決めることができます。全ての責任を現職議員は負っているのに、問題視したり、改善するべきだ、といった声を誰一人として挙げていません。
日頃から国立市の民主主義は必要条件を欠いていますし、とりわけ選挙において、議会の実態を知ることができなければ、相応しい候補者を選ぶことなどできるはずがありません。
知る権利が保障されていても知ろうとしないのは市民の問題ですが、構造的なハードルがあり、無意識に知るのが億劫になるように仕組まれているようなものです。
こんな非民主的で、退廃的な議会運営が罷り通っている国立市の議会制民主主義は、とても民主主義と言えたものではありません。