公共政策の倫理学(旧地方自治の倫理学)

元藤沢市議酒井信孝のブログです。

国立市議会の自浄能力のなさ

国立市議会の情報発信は都内最低レベルです。
会議録検索システムに委員会を対象としていないのは都区市60自治体中3市のみ。うち1市はPDF形式で11年前からの分が掲載されていますが、国立市議会はPDF形式の掲載はあるものの、恣意的に削除しており、平均的には4年間分しか掲載していません。
これを早急に是正するよう求めた陳情は昨年12月の定例議会で全会一致で可決されました。その際、各会派からはこれまで見過ごしてきたことへの反省の弁もありました。
にもかかわらず、議会の来年度予算が話し合われた会派代表者会議(メンバーは遠藤議員、重松議員、高原議員、小口議員、藤江議員)は、来年度予算に計上することすら見送りました。「大きな恩恵を受けるのは議員や事務局であり、内輪のシステム改修ということになるので、、市民理解を得るためには丁寧な議論が必要ということは来年度は無理」(遠藤議員)といった頓珍漢な発言に反論すらありませんでした。
 議会が何のためにあるのかをまるで錯誤しています。議会は議員のためにあるのではありません。議会は民主主義のための機関なのであって、すなわち市民のためにあるのです。議員の発言は市民の代表としての発言であるからこそ重視されるのです。議会という公の場での議員や市長、公共を担う市当局の発言は、すべて市民の知ることができなければなりません。
形式的に開示されているだけではなく、できるかぎり市民が容易に入手できるように手を尽くすのかどうかは、その議会の姿勢に左右されます。
国立市議会が意図して委員会の会議録を検索システムから除外していたわけではなく、単に気が付かなった、そういうものだと思っていた、ということ自体が議員たる資質を疑われる致命的な失態ですが、すべての議員がそれを認めました。自らの欠陥を自覚しながら、その欠陥を直ちに正そうとしないのであれば、それは不作為であり、気が付かない資質のなさのみならず、市民に対する背信です。
国立市民に議事録を入手するための不便を強いていること、議事録の入手が困難であることが国立市の民主主義の弊害となっていることがなぜ理解できないのでしょうか?
問題を認識したら即座に行動し解決するために奔走するのが議員に求められる基本的な資質「実行力」「行動力」「解決力」であるはずです。
これまでも予算を掛けてやるべきことだったのだから、来年度予算ではなく、補正予算を計上してでも直ぐに是正するようなことです。もし予算を工面できないのであれば、PDF形式で保有している約20年分を掲載するだけであれば予算を掛けずにすぐにできることは議会事務局に確認済みです。
「丁寧な議論が必要」と言いながら、集中して議論しているわけでもなく、やれることを模索することもせず、先延ばしにしているだけです。
こんなことの是正に数年を要するなど、国立市議会の自浄能力のなさ、自律性のなさ、問題意識の低さ、責任感のなさ、解決力のなさ、、、を物語っています。