公共政策の倫理学(旧地方自治の倫理学)

元藤沢市議酒井信孝のブログです。

見過ごされている高齢者の貧困

家などの資産があるために社会保障の対象にならず、生活実態として使える生活費は生活保護以下で、実質的には貧困状態に陥っている、といった嘆きの声を高齢の方々からよく聞きます。資産を売却して生活にあてればいい、資産があるのに公共に頼るのは甘えだ、というのが一般的な公共政策の考えだと思います。そのため、生活環境を維持できずにQOLを著しく失い、生き甲斐を奪われてからの保護、不幸との引き換え、不幸が前提、不幸に陥ってからの保護となっているのが現状でしょう。
 家を担保に借金すればいい、という気もします。しかし、いつ破綻するかも知れないリスクは冒したくないからこそ困窮しても我慢せざるを得ないわけです。資産を管理運用し、生活の質を維持できる人は貧困状態には陥らないわけで、それができず、自己責任の私有財産制度下で自立できない場合に、資産があるのに貧困状態に陥ってしまうということになるのだと思います。
 個人の能力の問題ではあるわけですが、だからこそ、困難を抱えた人を公共政策によって保護する必要があると私は思います。
 資産としての家や土地といった不動産があるけれども所得がない場合は、不動産の使用権を維持したまま所有権は自治体に移転し、その替わりにベーシックインカムを支給する。死後は自治体がその不動産を売却もしくは運用する。そうすれば、資産がある人に公的支援をすることへの反感が生じないのではないでしょうか。
 資本主義制度下で自立できない人は、社会主義的制度下の生活を選択できる。少子高齢化など、社会の変容に個人が対応しきれない現代にあっては、これくらい割り切った公共政策が必要となってきているのではないでしょうか。