公共政策の倫理学(旧地方自治の倫理学)

元藤沢市議酒井信孝のブログです。

曖昧で危険な家庭教育支援意見書が可決!


 本日、藤沢市議会2月定例会最終日に「家庭教育支援法の制定を求める意見書」の採択議案がありました。18対16で可決されてしまいました。以下に私の反対討論を掲載します。

 議会議案第7号家庭教育支援法の制定を求める意見書について市民派クラブの反対討論を行います。
 本意見書が主張しているように、教育基本法の理念を実現するための個別法を整備する必要性もあるとは思います。ただし、それは大前提として憲法に則ったものである必要があります。教育基本法第10条は、家庭教育の在り方と公共の役割について述べられていますが、憲法における個人の尊厳や自由の保障を前提としなくてはならず、家庭の中にあっても第一義的には父母も子も多様であることが認められるのでなければなりません。すなわち特定の家庭像や個人像を社会が押し付けるような個別法の制定は憲法違反であることは明らかです。
 プライベイトな質的領域は量的に理解することが困難です。個人の趣向や幸せ観は多様です。過保護・過干渉・放任と聞けばマイナスイメージが浮かびますが、そのような評価を下したとしてもその子どもにとってどのような意味をもつのかは一概ではありません。核家族化が過保護・過干渉・放任の原因となるとも限りません。
 児童虐待を防ぐために子育て家庭を孤立させない体制づくりは必要だと思います。しかし、まさに教育基本法10条2項に明記されているように家庭教育の自主性が尊重されなければなりません。
 意見書には「家庭は社会と国の基本的単位であり、家庭倫理が社会倫理の基盤にもなっていく」とあります。この家庭倫理や社会倫理も何が最良であるのかは一概ではありません。各人が追求していくようなものであって、固定観念を押し付けていいものではありません。
 家庭の自発的・自主的営み、家庭の中の個人、とりわけ非力な子どもの尊厳を守る、そうした家庭教育支援法であるのなら必要だとは思いますが、本意見書の家庭教育支援法はどのような内容であるのかが不明ですので、個人の尊厳や多様性を縛るものとなる恐れもあります。このようなあいまいで悪用されかねない意見書の採択には反対します。

<参考>
教育基本法第十条 
1 父母その他の保護者は、子の教育について第一義的責任を有するものであって、生活のために必要な習慣を身に付けさせるとともに、自立心を育成し、心身の調和のとれた発達を図るよう努めるものとする。
2 国及び地方公共団体は、家庭教育の自主性を尊重しつつ、保護者に対する学習の機会及び情報の提供その他の家庭教育を支援するために必要な施策を講ずるよう努めなければならない。

自民党案に関する参考ページ
家庭教育支援法案(仮称)」未定稿(2016年10月20日)